今回の旅で“風車”とは、どのようなものなのかを、あらゆる天候・風況・距離・時間帯で体験した。そして風車が人にどんな悪影響を与えるかを、実際に苦しみを抱えた大勢の方々とお会いして、この目と耳で確かめる事もできた。

 

大きな金が動く風力発電施設建設は、事業進行も強引になりがちだ。

「風車は未来のため、世界のため」と事業者は大義名分を振りかざす。

地域住民を無視した、一方的で性急な風車建設が、多くの人々を苦しめている。

風車建設の為にはあらゆる手を使って、住民の“不安の声”を抑え込み、いい加減なアセスメントを行い、建設を押進める。その結果が、日本各地で健康被害を多発させ、環境破壊に輪をかけているのだ。

 

では何故、『環境に良いもの』であるはずの風車が『脅威的な危険物』と化してしまうだろう?・・それは、未だ規制する法が整備されていない“自然エネルギー導入”という国策に、事業者が便乗し傍若無人に建設を行うからだ。健康被害を出すような事業を行っても、風車を規制する法律がない為に、罰せられる心配がないからである。

 以前、南伊豆町に説明に来た事業者達に、他県で風車被害に遭われ苦しんでいる方々の報道や記事について質問したことがある。ある事業者は、

 

「一部の住民にスポットを当てた映像が、大事のように流れてしまっただけ(M社)と答えた。

“一部”とは何事だろうか。仮に少人数だとしても、風車の被害者が実際におり、悩み苦しんでいる事が最も重要な問題ではないか。

また、ある事業者は

 

「わが社では、被害や問題を一切出していない。(J社)と答えた。

被害の声をあげられない人々がいるのを知っていても、公にならなければ「被害は出ていない」と胸を張る。

問題を正面から解決せずに、何度も同じ過ちを繰り返す事業姿勢。取り締まる法が無い事を盾に、「法は侵していない」と公言し、彼らは今もなお日本各地で風車建設を強引に進めている。

 

行政の責任も然りだ。どの町も、風力発電事業の計画内容を大々的に、きちんと住民に伝えることをしない。住民に騒がれないよう小さな知らせのみに留め、既成事実を作っていく。そんな小細工をしていくうちに、町行政はいつの間にか事業者の手先のように、住民の声を抑え込む側となる。もはや彼らは自分達を守る事で精一杯となり、住民は町にさえ守ってもらえなくなる・・・。

保身にまわる町、さらには県・国行政の対応が被害を拡大させている。

風力発電事業は私達の税金で成り立っている。しかし、そんな態度で対応する町や県や国に、私達は税金を払わなければならないのか。私達は自分自身を苦しめる為に、お金を払うようなものではないか。

苦しめられるのは、もちろん大人だけではない。これから育っていく地域の子供達にも危険は及ぶ。「もう建つのだ、反対してももう遅い」と、私たちがあきらめることは事業者の思うツボだ。目に見えない圧力や策略に屈したら、大事な子供達の健康さえ守ることはできない。

私達が今回の旅で、この目で確かめた事や知りえた事実は、建設を押進めたい事業者や、受け入れを許可してしまった町行政からすれば、知られたくない事実ばかりだろう。もしかしたら、この記録はそんな彼らに「一部の出来事に焦点を当てた偏見報告」、「反対したいが為の大袈裟な表現」あるいは、「小さな事を大事のように吹聴するホラ吹き」と片付けられてしまうかもしれない。

しかし、私はこう思うのだ。“風力発電事業”に対して 大きな疑問を持ったならば、「危惧が払拭できない」、「事業に納得できない」、「身の安全が確実でない」と、いろいろな観点から事業者や町、そして県や国行政に質問・意見を投げかけていくことが大事だと。

もし建ってしまったら、様々な被害が起こる可能性は大きく、そして被害が起こったその時から、住民と風車の長い闘いが待っている。

大人しく我慢して、つけいられた町には、いずれまた“新しい何か”がやって来るかもしれない。ただやみくもに「自然エネルギーだ」「未来エコだ」と流行りのような吹聴に、私たちは踊らされるのではなく、一人一人のしっかりした意識で、正しいエコロジーの姿に変えていくべきではないだろうか。

レポート/ MM Y

 

 

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